蘇った「丹波黒さや大納言小豆」物語
- 丹波大納言小豆の「黒さや」とは?
そんな中でこの数年、「地産地消」の掛け声もあって、丹波大納言小豆が大きくクローズアップされてきた。篠山市の特産「黒豆大豆」に対して、丹波市は「大納言小豆」のブランド力向上につとめている。
一口に大納言小豆といっても、いくつか種類がある。収穫期の豆のさや色にその特徴があり、「白さや」「茶さや」「黒さや」と地元では呼んでいる。総称して「丹波大納言小豆」と呼ぶが、「黒さや」小豆は由緒ある最高級品。いわば、大納言小豆の中の大スターである。
その値段は、北海道産の大納言小豆の10倍近く、同じ丹波産の3倍ほど高い。いったい、どんな理由があるのだろうか。
大納言は太政大臣や左右大臣などとともに天皇の政務を助ける高級官職で、なぜか、「大納言は殿中で抜刀しても切腹は免れた」という。
大豆にしろ小豆にしろ、豆類をくずさず煮るのはコツがいる。ところが、丹波産の小豆は形がくずれにくい。皮(腹)が割れないからだ。
宝永二年(1705)、この小豆に着目した藩主の青山氏(当時は亀岡藩、後に篠山藩に移封)は、精選した小豆一石を幕府に献納したところ、幕府はそれを京都御所に献上した。御所のやんごとなきお方は、煮ても皮(腹)が割れないその特徴を見て「大納言小豆」と命名した、というわけである。
以来、明治維新に至るまで御所に献上された小豆は、丹波市の春日町東中に産するものだった。この集落の街道沿いには、「丹波大納言小豆発祥の地」と刻んだ立派な石碑が立っている。

一口に大納言小豆といっても、いくつか種類がある。収穫期の豆のさや色にその特徴があり、「白さや」「茶さや」「黒さや」と地元では呼んでいる。総称して「丹波大納言小豆」と呼ぶが、「黒さや」小豆は由緒ある最高級品。いわば、大納言小豆の中の大スターである。
その値段は、北海道産の大納言小豆の10倍近く、同じ丹波産の3倍ほど高い。いったい、どんな理由があるのだろうか。
- 「腹が割れない」から大納言
大納言は太政大臣や左右大臣などとともに天皇の政務を助ける高級官職で、なぜか、「大納言は殿中で抜刀しても切腹は免れた」という。
大豆にしろ小豆にしろ、豆類をくずさず煮るのはコツがいる。ところが、丹波産の小豆は形がくずれにくい。皮(腹)が割れないからだ。
宝永二年(1705)、この小豆に着目した藩主の青山氏(当時は亀岡藩、後に篠山藩に移封)は、精選した小豆一石を幕府に献納したところ、幕府はそれを京都御所に献上した。御所のやんごとなきお方は、煮ても皮(腹)が割れないその特徴を見て「大納言小豆」と命名した、というわけである。
以来、明治維新に至るまで御所に献上された小豆は、丹波市の春日町東中に産するものだった。この集落の街道沿いには、「丹波大納言小豆発祥の地」と刻んだ立派な石碑が立っている。
- 「黒さや」300年の伝統を復活
明治20年代には、春日町東中に丹波大納言小豆の組合ができ、合資会社で販売した時代もあったが、綿花栽培に押されて衰退し、自家用として細々と栽培されてきた。
時は流れ、2000年のある日。どこから聞きつけたのか、柳田隆雄さんに、テレビの人気料理番組から丹波大納言小豆の照会があった。「黒さや」小豆を番組で取り上げたいので分けてほしいという。
柳田家では、母親が自家用の小豆を栽培し、毎月1日と15日には赤飯をつくり、春の彼岸は「ばたん餅」、秋の彼岸には「おはぎ」をお供えしていた。
「小豆は体内に蓄積した毒素を浄化するはたらきがあるらしい。昔の人はそんな知識はなくても、体で納得していたのでは」と隆雄さんは言う。
柳田家には前年(1999年)採れた小豆が一升瓶に残っていたが、隆雄さんが近所に訳を話すと、3升ほどの小豆が集まった。その半分を番組に提供したところ、放映中にも全国から問い合わせが殺到した。
隆雄さんの本業は建具師である。畑仕事をする間がなく、母親が楽しむ程度に自家用野菜をつくっていた。しかし思わぬ反響に驚いた隆雄さんは、先祖が300年も営々と築いてきた小豆の食文化に目覚めた。地域活性化のためにも「黒さや」の本格栽培を復活させようと決意したのである。
ちなみに「丹波大納言小豆発祥の地」の石碑は、柳田家の玄関から畑を挟んだ真正面の位置にある。また家の南側には、三尾山(標高約530m)という雄々しい山がそびえている。春には辛夷(こぶし)の花が山全体に咲き誇るので、この辺いったいは「辛夷のさと」とも呼ばれている。戦国期の三尾山には、丹波の赤鬼と呼ばれた荻野直正の拠城・黒井城の支城(山城)があった。この山城も黒井城も明智軍に攻められて落城したが、柳田家は400年以上前の丹波軍の子孫である。

時は流れ、2000年のある日。どこから聞きつけたのか、柳田隆雄さんに、テレビの人気料理番組から丹波大納言小豆の照会があった。「黒さや」小豆を番組で取り上げたいので分けてほしいという。
柳田家では、母親が自家用の小豆を栽培し、毎月1日と15日には赤飯をつくり、春の彼岸は「ばたん餅」、秋の彼岸には「おはぎ」をお供えしていた。
「小豆は体内に蓄積した毒素を浄化するはたらきがあるらしい。昔の人はそんな知識はなくても、体で納得していたのでは」と隆雄さんは言う。
柳田家には前年(1999年)採れた小豆が一升瓶に残っていたが、隆雄さんが近所に訳を話すと、3升ほどの小豆が集まった。その半分を番組に提供したところ、放映中にも全国から問い合わせが殺到した。
隆雄さんの本業は建具師である。畑仕事をする間がなく、母親が楽しむ程度に自家用野菜をつくっていた。しかし思わぬ反響に驚いた隆雄さんは、先祖が300年も営々と築いてきた小豆の食文化に目覚めた。地域活性化のためにも「黒さや」の本格栽培を復活させようと決意したのである。
ちなみに「丹波大納言小豆発祥の地」の石碑は、柳田家の玄関から畑を挟んだ真正面の位置にある。また家の南側には、三尾山(標高約530m)という雄々しい山がそびえている。春には辛夷(こぶし)の花が山全体に咲き誇るので、この辺いったいは「辛夷のさと」とも呼ばれている。戦国期の三尾山には、丹波の赤鬼と呼ばれた荻野直正の拠城・黒井城の支城(山城)があった。この山城も黒井城も明智軍に攻められて落城したが、柳田家は400年以上前の丹波軍の子孫である。
- 三尾山の伏流水の恵み
平成12年、隆雄さんは東中地区の近所に呼びかけ「黒さや会」を発足させた。そして今ようやく、20人で2ヘクタール(2町歩)の作付面積になっているが、反(10アール)当たり収量は多くて150kg、平均は100kgだという。全体で2トンほどだから、量的には知れている。ただし、値が高い理由は稀少価値があるというだけでない。品質も味も最高級品と認められているからこそなのだ。だから京都の高級和菓子店や料亭などから引き合いが多い。
どんな野菜でも、その土地のもつ土質や気候風土によって、大なり小なり出来栄えが違ってくる。それは人間を含めたすべての生き物にも言えることだろう。
「黒さやが、この限られた地域だけに育つのは、土の性質というだけでないように思う。たぶん三尾山のミネラル豊富な伏流水が大きく作用しているんではなかろうか」と
隆雄さんは言う。
試しにと、柳田夫人・明子さんが、黒さやを市内各所の畑で栽培してみたところ、1年目はまずまずの黒さや小豆が収穫できた。しかし翌年、採れた種を同じ地区に播いてみると、黒さやとは似つかわしくない小豆になったという。
東中地区ではいまも野生の小豆が畑の畔に生えてくる。隆雄さんはふしぎに思い、その種を採って播いてみたら、繁殖力は旺盛だがさやは細く、粒の大きさも黒さやの3分の1ほどだった。しかも、実の色は、赤紫、白、黒の3種が混ざっている。黒さやの原種は、この野生種が突然変異したものではないか、と隆雄さんは考えている。
千葉に「門外不出の黒さや」があると聞いたので、種を交換して播いてみたが、さやは細く粒も小さかった。京都にもあると聞いて調べたが見つからなかった。
隆雄さんはいよいよ確信を深め、200? 年に「丹波黒さや大納言小豆」の名称で商標登録を申請した。京都御所献上の歴史に因み、愛子さまお誕生祝いに(2001年)、秋篠宮悠仁さまのお誕生祝い(2006年)にも献上している。
「黒さやが、この限られた地域だけに育つのは、土の性質というだけでないように思う。たぶん三尾山のミネラル豊富な伏流水が大きく作用しているんではなかろうか」と
隆雄さんは言う。
試しにと、柳田夫人・明子さんが、黒さやを市内各所の畑で栽培してみたところ、1年目はまずまずの黒さや小豆が収穫できた。しかし翌年、採れた種を同じ地区に播いてみると、黒さやとは似つかわしくない小豆になったという。
東中地区ではいまも野生の小豆が畑の畔に生えてくる。隆雄さんはふしぎに思い、その種を採って播いてみたら、繁殖力は旺盛だがさやは細く、粒の大きさも黒さやの3分の1ほどだった。しかも、実の色は、赤紫、白、黒の3種が混ざっている。黒さやの原種は、この野生種が突然変異したものではないか、と隆雄さんは考えている。
千葉に「門外不出の黒さや」があると聞いたので、種を交換して播いてみたが、さやは細く粒も小さかった。京都にもあると聞いて調べたが見つからなかった。
隆雄さんはいよいよ確信を深め、200? 年に「丹波黒さや大納言小豆」の名称で商標登録を申請した。京都御所献上の歴史に因み、愛子さまお誕生祝いに(2001年)、秋篠宮悠仁さまのお誕生祝い(2006年)にも献上している。
- 「食べ比べたらすぐわかる」
百聞一食にしかず。黒さや小豆のおいしさも「一度、食べ比べたらすぐわかる」と隆雄さん。実際その通りで、初めて食べた人は「こんなうまいおはぎ、初めてや」と、例外なく感動的に言うから面白い。
元幼稚園の保母さんだった明子さんは、義母からおはぎや赤飯作りの伝授を受けたが、「塩」にこだわるなど自分なりの工夫を凝らしている。甘さを抑えた塩加減が黒さやの味をいっそう引き立てている。
元幼稚園の保母さんだった明子さんは、義母からおはぎや赤飯作りの伝授を受けたが、「塩」にこだわるなど自分なりの工夫を凝らしている。甘さを抑えた塩加減が黒さやの味をいっそう引き立てている。
ご覧の通り、
だるまさんはころんでも、黒さや大納言小豆はころばない!
- 収穫体験やオーナー制度など
地域とともに夫婦二人三脚で黒さや小豆の普及につとめ、昨年(07年)、明子さんは小豆味噌の商品化も実現させた。味噌は大豆で作るもので、小豆の味噌はできないとされてきたが、その常識も覆した。
もっとも、せっかく商品化しても黒さやの絶対量がすくない。昨年は暖冬のため収量は一昨年比の75%(1.5トン)。高齢化はすすむばかりで、今後とも作付面積の飛躍的な伸びは期待できない。だからこそ、可能なかぎり今できることをして、種だけでなく食文化の伝統をつなげていかなければならないと、柳田夫妻は情熱を燃やす。
昨年は、丹波地域ビジョン委員会(丹波県民局)の協力のもと、黒さやの収穫体験を呼びかけると、3回で延べ120名ほどが阪神間から集まった。
こうしたイベントも大事だが、恒常的な取り組みもやっていく必要があると、夫妻は痛切に思っている。たとえば、作付面積をオーナー制度で増やすことや、週末農業の希望者に空き農地や耕作放棄農地を借りてもらい、その畑の一部でも黒さやを栽培してもらう、
などの仕組みづくりだ(当然、田舎元気本舗は、こうした取り組みを応援している。詳しくは・・・・)。
今、隆雄さんは面白いことを計画しているが、それはまた、実現したときにレポートさせてもらうことにしよう。
とにかく「百聞一食にしかず」、黒さやの「おはぎ」を一度召し上がってみてください。ご注文は、Webショップ「旬。丹波」までどうぞ。
もっとも、せっかく商品化しても黒さやの絶対量がすくない。昨年は暖冬のため収量は一昨年比の75%(1.5トン)。高齢化はすすむばかりで、今後とも作付面積の飛躍的な伸びは期待できない。だからこそ、可能なかぎり今できることをして、種だけでなく食文化の伝統をつなげていかなければならないと、柳田夫妻は情熱を燃やす。
こうしたイベントも大事だが、恒常的な取り組みもやっていく必要があると、夫妻は痛切に思っている。たとえば、作付面積をオーナー制度で増やすことや、週末農業の希望者に空き農地や耕作放棄農地を借りてもらい、その畑の一部でも黒さやを栽培してもらう、
今、隆雄さんは面白いことを計画しているが、それはまた、実現したときにレポートさせてもらうことにしよう。
とにかく「百聞一食にしかず」、黒さやの「おはぎ」を一度召し上がってみてください。ご注文は、Webショップ「旬。丹波」までどうぞ。